No.129 (「ヨーロッパの火薬庫」バルカン)  : 

「バルカンが『火薬庫』とはどういうことか?」

多くのスラブ系民族を国内に抱えていたオーストリア(パン=ゲルマン主義の側)
は、1908年、青年トルコ革命に乗じてボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合した。
これに不満を持ったセルビア(パン=スラヴ主義の側)などに二度のバルカン戦
争で敗れたトルコとブルガリアがドイツに接近して3B政策が実現すると、オー
ストリアとセルビアの関係がますます悪化した。この民族主義対立の激しさが「火
薬庫」にたとえられた。

<評価の観点>
関心・意欲・態度:

冷戦体制崩壊後に起きた代表的な紛争の、ユーゴスラヴィア内戦やボスニア内戦に
見られた、「民族のモザイク状態」がバルカン半島の特徴であることに、大きな興
味を抱いて学習に取り組んでいる。

思考・判断:

第1次バルカン戦争の敗者トルコと第2次バルカン戦争で敗れたブルガリアが、ド
イツ側に走ることによって、ドイツの3B政策が実現するとともに、イギリスの3
C政策が脅かされたことを、的確に判断している。

資料活用の技能・表現:
バルカン半島を中心とした地図上に、ベルリン・イスタンブル・バグダードの
各都市を線で結ぶことによって、3B政策を具体的に把握している。

知識・理解:
パン=ゲルマン主義のオーストリアによるボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合に、
ロシアが後押しするパン=スラヴ主義のセルビアが強く反発、加えて二度のバ
ルカン戦争によりドイツの3B政策が実現するなど、バルカン半島における民
族主義対立の激しさについて、基本的な知識を身につけている。